あなたはどこで詰んだ?
表紙
ギャンブルと人の関係は、実は切っても切れないのである。
私たちは今までの人生において、数えきれない程多くのギャンブルをしてきたのである。

え?俺はギャンブルなんてしない?それでは一つずつ生まれる前から考えてみよう。

出産
【親ガチャ】

襟足

人生において、いや人間の始まりを定義することは難しいが、その始まりが完全な運否天賦であるのならギャンブルと言えるのではないか。人生において、どの家庭に生まれるかというのはその後の人生において非常に重要である。世界というスケールで見ればシリアのような紛争地帯か、アラブの石油王の元に生まれるのかであれば差は天と地の差であるし、日本人に生まれる確率は1.2%であるが日本であっても富裕層か貧困層で生まれるかは月と鼈の差がある。例えば富裕層の過程に生まれると良質な学習サービスを受けることができ、生涯年収も高くなるというデータが存在する。しかしヤンキー夫婦のような貧困層に生まれると必要な教養を得られない、食事も与えられない、といったことも珍しくない。このように生まれる前から人はギャンブルをしてるのではないか。

幼少期
【おみくじ・おまけつき食品】
幼少期にギャンブル?と思うかもしれないが、実は存在する。
まずおみくじ。おみくじは2~3歳程にもなれば家族と一緒に初詣の際引くこともあるだろう。またビックリマンチョコやポケモンパン、プロ野球チップスなどのランダムで景品が入っている食品も、子供にとっては食品がおまけであり景品がメインである。良いキャラクターが当たるまでトライするなど、ギャンブル要素がある。

小学生・中学生
【トレーディングカードゲーム】
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小中学生におけるギャンブル要素のあるものとはトレーディングカードゲームではないだろうか。小中学生にもなるとお小遣いなどで自分で自由におもちゃなどを選択して購入する。丁度この時期に遊戯王やデュエルマスターズに没頭した人も多いのではないだろうか。1パック150円で5枚入りのカードを買う。当然雑魚カードしか入っていない可能性の方が高いのだが、まれにレアカードを当てて大興奮する。そしてまたレアカードが当たるまで買い続けるという。これは非常にパチンコなどの依存メカニズムに類似している。しかしこのトレーディングカードゲームもパチンコなどのギャンブルよりはマシである。子供の場合、付き合う友人がいるからこそ成り立つゲームなので、ブームが過ぎれば購買欲求も納まる。つまり辞めることができる。また大人がやっていても辞める時に売却ができるというメリットもあるのでこれもパチンコなどよりもマシである。

高校生
【スマホゲーム課金】
高校生になり本格的にスマートフォンを持つようになったという人も多いのではないだろうか。やはり高校生でのギャンブル要素の持つものといえばスマホゲームの課金だろう。パズドラやモンストなどが筆頭であるゲーム内の課金要素である”ガチャ”は、現実には何も得ることがないのに、スマホのデータ上でのみ存在する好みのキャラクターを手に入れることができる。お金と偶像の取引である。この辺りから一気にパチンコなどの要素に近づいている。またスマホだけに限らず今ではPS4やニンテンドースイッチのような据え置き型、固定型ゲームにも課金要素があり、買えば終わりという過去の商品形態から変化している。

大学生・社会人
【パチンコ・競馬・宝くじ・FX・その他多】
ルーレット
大学生にもなると一気に自分の使えるお金の自由度が増す。私自身も賭け麻雀を覚えたのが大学生の頃だ。また18歳、20歳をすぎるとそれまで利用することの出来なかった賭博施設などが一気に解禁されることもこの時期ギャンブルに没頭する重要な要因ではないだろうか。とにかく大学生・社会人はギャンブルとの距離が一気に近くなる。
仕事の数か月分の給与がギャンブルによって一瞬で手に入れる事ができる、その甘味、興奮を一度でも知った者は抜け出すのはむずかしい。またギャンブルをしている間は不快なことを忘れることもでき、勝っている間は一石二鳥である。っている間は。また株やFXなどは正確にはギャンブルではないが、多くの人が投機的取引をし、ただのギャンブルと化ししている人も少なくない。これくらいの年齢になると厄介なのが、ギャンブルで失った損失を取り返すことが困難であり、依存性があって辞める事ができなくなるということである。

日本政府もそれを黙認、いやむしろ推進しておりパチンコ店を取り締まるどころか日本にカジノまで作ろうとしている。思うところはいろいろあるが、確実な事は、社会はあなたが損しようと知ったことではない。という姿勢を取っているということである。大学生、社会人になると自分でギャンブルを自制することを必要とされる。生まれる前からギャンブルしてきたが。

ここまで人生とギャンブルが密接だと、人生自体が運ゲーだと捉えてしまいそうである。しかし、人生の重要な場面においては、選択の自由は確かに存在する。
努力しなければいけない時、逆境に立たされた時でも、運を跳ねのけ自ら道を切り開くことができる者だけが人生というギャンブルに勝利することができるのかもしれない。