『100万回生きた猫』は私の宝物です。ー 深田恭子

    皆さんには思い出に残っている絵本や大切にしている絵本はあるだろうか。大人になってから昔読んだ絵本読み返すと、昔は気付かなかったような新たな視点や発見があって面白い。
 今回はそんな新たな発見がある絵本『100万回生きた猫』についての考察をする。ちなみに私は国語の教科書にも載っていた『ずーっと ずっと だいすきだよ』という本が一番好きだ。あれは泣ける。なぜか作者名まで覚えている。


ずーっと ずっと だいすきだよ (児童図書館・絵本の部屋)
ハンス・ウィルヘルム

『100万回生きた猫』は凄い本 

       
    『100万回生きた猫』は1977年に佐野洋子さんが描いた絵本だ。ちなみに彼女の旦那さんは谷川俊太郎である。この本の何がすごいかというと、まず発行部数がすごい。一般の書籍でも100万部突破を突破するのは至難の業だが、この『100万回生きた猫』は2019年の時点で226万部を記録している。これはあの名作絵本『ねずみ君のチョッキ』の二倍以上の発行部数だ。
ちなみに『ぐりとぐら』は517万部。

ねずみくんのチョッキ (ねずみくんの絵本 1)

そして発行部数だけでなく、今もなお読者からの人気も高い。

発売から43年が経っても評価され、更に幼児向け絵本なのに、ネットでコラ画像がつくられるなどネタにされ続けている(ネット民が幼児レベルということが微レ存…?)こんなにも愛されている絵本は滅多に無いだろう。

100万回生きた猫の内容


  この絵本の内容を思い出してみてほしい。この話は一匹の猫が輪廻転生を何度も繰り返す話だ。飼い猫として飼われていた猫には「自分」というものがなかった。人生に対して何の執着も未練も無いので何度死んでも生まれ変わる。
    しかし最後は野良猫として生まれ、綺麗な白猫に恋をして家族を作り自分の人生を充実させた結果、二度と生まれ変われなかったというオチで話は終わる。
 幼いころの私は亡骸を抱いて泣く猫の印象が強く、この本をバッドエンドの話だと思っていた。しかしそれは違う。最後に「自分」を手に入れることで成仏することができたからだ。また本当の「愛」を手に入れることによって「人生」が始まったため生まれ変わらなかったという解釈が一般的だ。作者も絵本を通して人生愛が大事ということを表現したかった可能性が高い。

考察

 この『100万回生きた猫』は絶賛する感想が多く、その一方内容を批判するような感想やレビューがほとんど無かった。この作品がどれだけ多くの人に愛されているか分かる。しかし私は違った目線からこの絵本を考察してみることにする。あくまでも私の個人の感想だからね!!!

『100万回生きた猫』の考察①
愛し合うことは人生の必須条件?


  ”愛を手に入れることができたから100万回のループが終わった”という話は言い換えると愛を手に入れることができない人生は何万回もやり直すくらい価値のない人生だと言っているようなものである。もちろん好きな人と愛し合うことは良いことだが、世の中の人全員が好きな人と愛し合えるわけではない。そんな人達は成仏せず愛し合えるまで100万回もやり直すと言うのだろうか。
 私はどんな人生にも価値はあると思う。というか、思いたいたとえば見返りを求めない奉仕の心を心に持っている人はそれだけで素晴らしい。双方向ではなくても、少しでも他者のためを思える人は"善く生きている"。発明家ニコラ・テスラは独身だったが、私達の便利な今の生活はほとんど彼の功績だ。飛行機を作ったライト兄弟も独身だ。そんな彼らは成仏できないのか?そんなことはない。愛し合う以外にも素晴らしい生き方はある。それがなにかを発明したとかじゃなくてもだ。愛という形以外でも人は「本当」の自分を確立できると思うし、それぞれ価値がある。
 
『100万回生きた猫』の考察②
「100万回生きた野良猫」では成立しない。「飼い猫」である必要がある


 この「100万回生きた猫」は猫(飼い猫)でなければ話は成立しない。この絵本を作る際に、何故作者は主人公を”飼い猫”にしたのか。
 作者は「普通に生きていても、愛が無いと不幸せですよ」という自身の意見を強調したかった。この話を絵本で出版したいのなら、人間を主人公にすることはできない。話が重くなるからだ。だから動物の中から作者は選ぶ必要があった。しかし”愛が無く不幸せな主人公”を演じるにふさわしい動物を考えてみても見つからない。なぜなら、ほとんどの動物は野生で暮らしていて幸せかどうかなんてわからないから。そのため飼い猫という最初から自由が無く制約を受けた動物を選ぶことにした。そして、作者は”自由の無さ”を”愛の無さ”の中に巧妙に隠し、”ループしている間の猫は愛がないので不幸せだった”という設定を無理やり作り出している(本当に無いものは自由)その根拠にループしている間は、あの猫はずっと飼い猫だった。しかし、野良猫になった瞬間、あの猫はループから抜け出している。つまり愛が無かったからではなく、単に自由が無かっただけの話である。一度見ただけでは今まで無かった愛を得ることができたから、ループから抜け出せたんだね。」と思ってしまうが、あの猫に今まで無かったのは自由だ。飼い猫だったためにメス猫と出会うということが達成できなかっただけの話だ。だからこの『100万回生きた猫』は「飼い猫」でなければならない 

もし「100万回生きた人間」
だったらこうなる。
「A君は生まれながらにして刑務所暮らしでした。」
「生まれ変わっても刑務所でした。」
「またまた生まれ変わっても刑務所でした。」
「今度は
生まれ変わると自由の身でしたなので結婚して子供ができました。」
「もう二度と生まれ変わることはありませんでした。」

上の文章の、
自由の身で生まれたこと結婚して子供ができたこと、A君の運命が変わった大きな要因はどちらだろうか?
愛よりも、自分で行動できる自由があったから幸せになれたのだろう。

『100万回生きた猫』の考察②
「飼い猫」であることは共感を得るためのテクニック


 この本を大ヒットさせるにあたって、作者は読者の共感を得る必要があった。その対象の読者とは、”毎日仕事・勉強・家事なんかをしているものの、これといって特別に幸せや自由を感じない多くの現代人”がターゲットである。作者は、彼らの共感を得るために「使命を果たしているのにも関わらず幸せでない動物」が必要になった。やはりこれも飼い猫だ。
 飼い猫はその場にいるだけで役割を果たす飼い猫の使命とはペットとして飼われることだ。しかしこれは人間の価値観であり、本来の猫としての幸せや成功ではない。本来の猫としての幸せや成功は(おそらく)人間に飼われず、野生で自由に暮らすことだろう飼い猫であることにより「使命(仕事・勉強・家事)を果たしていたにも関わらず、幸せでは無かった。」という条件付けが可能となり、読者に共感を与えることができる。
  「100万回生きた猫」がもし飼い猫ではなく、なんの制約も無い野良猫だったらどうだろうか。野良猫の使命は無く、自由気ままに暮らすだけである。100万回野良猫らしく、色々なメス猫と交尾して暮らしていました。という前提条件では読者の共感を得ることはできないし、「本当に良いメス猫と愛し合って家庭を作りました」というオチもなんの共感を得られないだろう。やはり飼い猫という自由と、生物としての成功が最初から無い動物でしかこの『100万回生きた猫』を描くことはできない。愛と自由のすり替えができないからだ。

・・・ねずっちさん!!出番ですよ!!!

ねずっち
・・・その心は!!!!!
不ズ2

(´・ω・`)


おわり

この話は超長期間拘束されていた猫が自由になった話であり、成仏できたのはそこには愛があるからじゃなくて自由があったから。
人間から手厚く衣食住はあったって描写はあるがあれはダマシだ。自由ではない。いくら他種族から手厚く保護されても自由と同種族間の繋がりが無ければ悲しいだけである。この絵本は映画「ショーシャンクの空に」に似ている。愛を語る絵本ではない。本当に愛を語るなら何度も離婚と再婚を繰り返す女性が最後に本当に自分を愛してくれる男性と巡り会えたとかいう話にすればいい。でもそうしたら絵本として売れなくなるしただのドラマになる。私自身間違っている箇所も多くあると思うので、何か知ってることや思ったことがあれば気軽にコメントください
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