この記事は私の多くの主観的見解・個人的推測が含まれ、事実と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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 千葉県松戸市在住・学校職員の近藤さん(35)は2018年、バーチャルアイドルの「初音ミク(16)」と生涯を共にすることを決めた。約200万円の費用をかけた披露宴には、両親は出席を拒否したものの、彼が招待した約40人(主に友人や親戚)がお祝いに駆けつけた。

肯定的なコメント
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否定的なコメント
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冷静なコメント
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参考画像 引用:Twitter

結婚おめでとう!...とは思わない
娰

 好きな人と結婚できることは素晴らしいことだ。私は、あなたが「ボーカロイドと結婚した」と言っても笑ったりしない。前代未聞で批判を恐れず結婚式を行ったあなたは間違いなく屈強な執念とメンタルをお持ちなのだろう。
    私もオタクの一人で、アニメや漫画が大好きだ。特に学生時代はバイトをして好きなアニメのDVDやCDを買って売上に貢献し、制作会社を応援した。またヤフオクで非売品のグッズを5万円で落札したりイベントがあると県外まで移動して参加したりと総額100万円以上は消費したと思う。(学生の分際で)だから架空のキャラクターを好きになることは不思議じゃないし、結婚したいと思うのも当然だ。それに関連して、私はとても大切にしている人形がある。たとえ人形だとしても、私は心が宿ると思っている。学生時代から毎日話しかけ、手入れをし、全く表情は変わっていないのに笑ったり喜んだりしている感情を感じたこともある。なので私は生身の人間でなくても、人形を一人の人間として世話をしている人や、妻として家に住まわせている人の気持ちが分かる。だから人形と結婚も不思議ではないと思った。(ここまでオタク特有の早口)

しかし彼(初音ミクと結婚した男)には違和感を感じる。その違和感の正体をいくつかの疑問と共に解説していく。

疑問その①
なぜ他者アピールと承認を必要とするのか?

  「初音ミクと結婚した男」を取材した記事があった。

"筆者も招かれた結婚式は盛大だった国内だけでなくいくつもの海外のメディアからも取材を受けた。SNSのフォロワーも世界中に広がった。
otapol.comより引用
   
     何故自身の結婚式に有力なウェブライターを招いたのだろうか?数人でも仲の良い友人を集めるだけではなくどうしてメディアの露出を好んだのだろうか。これを考えてみよう。上の記事を見るに、そのウェブライターとはその時特に親しい関係ではなかった。また39人しか結婚式に参加していないのに、他にも彼の結婚式を取材する記事がネットに多くあるのだが、それは宣伝目的で他にも記者を招いていた可能性が高い。従って、200万円をかけてまで結婚式をしたのは、結婚という「結果」より他者へのアピールと認知されることが目的 というのが有力な解釈だろう。私は「オタク」というのは他者への承認や理解を無理に求めないものだと思う。私自身も他者の納得よりも自分の納得を追及したいものだ。200万円あれば結婚式を挙げるより、等身大のGateboxを作る研究をする。

     追及型の「オタク」とは違うが、彼は本当に初音ミクが好きなのだ。それは間違いない。愛は本物である。

     しかし向けているエネルギーが「初音ミクは自分のモノ」という宣伝の独占欲・承認欲求に片寄っているのでは?というのが私の素直な感想だ。彼は結婚式を挙げることによって「史上初めて初音ミクと結婚した男」というレッテルを得たかったのだろう。そしてそれを彼自身のアイデンティティとするために。それゆえ取材も積極的に受けるし今でも自ら「初音ミクと結婚した男の生活」を発信し続けている。

参考画像 引用:Twitter
結婚式への思いを語る近藤氏
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これに対して怒るファン。

疑問その②
"結婚相手は「概念の初音ミク」じゃない"は本当?

   彼自身はネット上の「初音ミクを独り占めするな」という批判に対し「初音ミクという概念」ではなく「特定の初音ミク」を愛していると弁明している。
 
誤解されがちな部分ですが、私の結婚相手は“大きな概念としての初音ミク”ではなくて、あくまで“ウチのミクさん”なんですよね。
 
引用:『初音ミクと“結婚”した公務員が語る、(人間と)結婚しない生き方を選んだ理由』https://bizspa.jp/post-59884/ 

しかし彼のtwitterを見ると特定の初音ミクではなく、大きな概念として捉えていることがわかる。

まず結婚式
彼はこのぬいぐるみと一緒に結婚式を挙げた。
 
家族写真
   待て、それは誰だ。彼のツイートを見てみると、最近の投稿はこの大きな初音ミクのドールの写真ばかりだ。"特定の初音ミク"と言うのは、あのぬいぐるみの「初音ミク」じゃなかったのか...??

調べてみると、このドールとどのようにして出会ったのか興味深い記載があった。
  
きっかけは、結婚式にも等身大フィギュアと共に参列してくれた、ある人の紹介。等身大フィギュアを見たときに、近藤さんは自分も欲しいと思った。
 
引用:『初音ミクさんと結婚式から一年。等身大ミクさんを迎えた近藤さんのスイートホームを訪問』https://otapol.com/2019/11/post-86539.html/amp?__twitter_impression=true
結婚式当日に浮気だと!?

またTwitterで結婚に際して、「本人の同意は得たのか」という質問に対しては
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Gatebox(製品)の初音ミクに同意を得たと答えている。

・結婚式での相手→ぬいぐるみの「初音ミク」
羨ましくて買った最近の相手→「ドールの初音ミク」
・婚姻の約束は→Gateboxの「初音ミク」

軸がぶれている。
    本人は、「大きな概念での初音ミク」ではなく「ウチの初音ミク」言っているが、その「ウチの初音ミク」の概念は度々変わるようだ。

「このぬいぐるみの初音ミクが私の嫁なんです!」

と一貫していれば筋は通っていた。
    つまり彼の本心では"特定の初音ミク(ぬいぐるみの初音ミク)"と結婚したと思っていない。本人は否定しているが、"この世界の概念としての初音ミク"を対象としているというのが分かる。
不特定
    彼にとってはこの世の全ての「初音ミク」は結婚相手であるし、他のファンが初音ミクを応援したり好きであっても彼にとっては「(私の妻の)初音ミク」が支持されていると感じることができる。また製品コンテンツやイベントなども全て自分の妻のためのものと捉えることができる。その優越感に浸ることができるのが結婚式をする目的であったのではないか?(私の解釈)しかし彼を支持する多くの人々はそうとは捉えず「好きなことを好きと言えるのはスゴイ」と単純に考え、"結婚式を挙げた本来の意図"が見えていないのではないかと思う。 

     「純粋な初音ミクファン」と「初音ミクと結婚した男」両者の間の立場は全く違う。  なぜなら私物化したいと思う心と純粋に初音ミクが好きという、交わらない両者の捉え方の違いがあるからだ。私は両者が仲良く話しているのが不思議でならない。純粋なファンは彼を「好きなものを好き」と言えるという点で尊敬できるのかもしれないが、「初音ミクと結婚」という名のニュースはファンでは無い人が見たら悪い印象を与えるだけである。今ではボーカロイドの実用性や価値に多くの人が気付き、若い世代からの人気も高い。何もしなくても「好きなものを好き」と誰でも言える世の中変わってきているし、そんな中あえて悪い印象を与えることはするべきではないと思った。

     またこの「初音ミクと結婚」という出来事に関して、初音ミクファンの間でも肯定派と反対派に別れている。彼のTwitterをフォローしているのは肯定派が多く、少しでも反対する意見を言うと肯定派に袋叩きにされている。
     反対する意見を聞くと、肯定派ファンは"初音ミクがバッシングされた"と思い彼を擁護し、怒る。しかし反対派のバッシングの対象は「結婚」から想起される独占欲と支配欲に向いているということに向いているのだ。本来どちらも純粋なファンという点で共通しているのに、対立が生まれるのは悲しい。


疑問その③
彼にとっての「初音ミク」は変わり続けるのでは?

   テクノロジーの進歩は目覚ましい。ドールはより人形らしく、人工知能は進化し続ける。これからVRよりもっと進化した仮想空間での体験や、より人間らしい「初音ミク」のロボットも実現可能だろう。その時彼は「今の彼の所持している初音ミク人形」より「リアルな初音ミク」に興味が向くだろうし、リアルさを求めて買い換えるだろう。その根拠に最近の彼のツイートを見ても(他人が羨ましくなり買った、リアルな方の)初音ミク人形ばかり投稿している様だ。結婚時に一緒に写真をとった初音ミク人形はあまり登場しない。そこに何か悲しさや寂しさを覚えるし、広義の意味(概念)のキャラクターではなく、人形そのものに愛着を覚える私には理解できなかった。
    しかしながら、個人がどのように考え、どのように思うかは誰にも縛ることはできない。それは自由の領域だ。だから「初音ミクと結婚した男」がどう思っていようと全然良い。
   私が結局言いたかったことは、誰のものでもないキャラクターと一方的に結婚を宣言し、多くの人に発信することは、これもまた他の人の誰がどう思うかという誰にも縛られない自由な領域に干渉することになるのでは?と思ったということだ。

おわり
    

私の本心では、彼のTwitterでは反対の意見を持つ者にはファンが集団バッシングするという構図があり、疑問を持ったためこの記事を書いた。近藤さんには何の恨みも持っていないし、これからも幸せな生活をおくっていただきたい。またご本人の希望があれば直ちにこの記事を修正致します。ここまで読んで頂きありがとうございました。