いきなりだが、本日自分のブログを閉鎖しようかというところまで悩んだ。

皆さんは自分の無力さや力不足、存在意義に悩んだことはあるだろうか。私は今日考察系の記事を書こうと思っていたのだが、書きながら「こんなことして何の意味になる?」という疑問が浮かび、そしてその答えは出なかった。私のブログを見ている人は9割カラミざかりのコラ漫画を見たから知ったのだと思う。しかしよく考えてみてほしい。私の書いた記事を読んで少しでも生産的なことが生まれただろうか?時間を潰しただけだと思う。(そんなことない!みたいなコメントを期待して書いてるわけじゃありません。)

たしかに人間無意味な時間、ダラダラする時間は必要だと思う。しかしそれは私のブログでなければいけないのか?私は皆さんの貴重な時間を奪っている。私は不快な広告を少しでも緩和したいという思いであの記事を描いたが、それは世界に対してなんら影響も及ばさないのでは?本日まで1ヶ月半ブログを書いてアクセス、訪問者数共に増えたが、それは私の作業量に比較して増えただけだ。誰だって私のようなブログを作ることはできる。

ブログを書く人、ユーチューバー、彼らは専ら収益のため日々面白い記事や一目のつく動画をとったりしてpvを稼いでいる。このような日記系の記事は有名人でもない限り見られない。重ねて私は最初から収益を目的としてブログを初めていない。だから未だにブログを書く意味について考えてしまう。

私のブログを書く目的は、つまらない人生を変えたい、何か世界に対して有益なことをしたい。もっぱらそんな理由だ。前者の理由はかなり低俗だし、後者の理由に関しても私より有益なことをしている人はいくらでもいる。たとえばグレタ・トゥーンベリ。(17)多くの人から叩かれているが、彼女は間違いなく私より数百倍有益な人間だと思う。自信の軸を曲げず、あの年齢で地球環境の為、行動できる人は他にいない。私の完全上位互換だ。17歳の女の子だぞ?

また自身の目標、その先に位置するプロブロガー、ユーチューバー、それより上の役者、社長、政治家、真に自己の利益を追及せず、他の為に奉仕の心で良い影響を与えている人間はいるだろうか?皆自身の利益のために行動し、富を持った人間は凶暴化する。余裕は欲を生み、欲は破滅を生む。そういった点でも、私の望む未来には明るい先が無いことが想像できる。

私はギャンブルを通してそれを学んだ。大学生の頃、株で働いてもないのに資金が何百万円にも増えた。その次はどうなったと思う?「もっと増やしたい」という感情が生まれる。それはお金が増えても増えても止むことはない。人間の底無しの欲望。破滅するまで終わらない。実際に私は破産した。資金が底をついても、勝った時の記憶が強力に脳にこべりつき、「俺は勝てる」という錯覚をする。あともう1勝負すれば、取り戻せる。あともう1勝負すれば勝てる。そんなことをして気がつけばもう「終わり」。そんな経験をしてきた。

結果的に私はお金に対する執着が無くなった。ブロガーとしての成功、多くの収益を得る、そんなことは私の人生の成功ではない。欲望を増長させるだけだ。たしかにたくさんお金を稼ぐことで生活は楽になるかもしれない。今の週5アルバイトで利息と家賃を払うだけの生活が楽になるのかもしれない。しかしその先は?多少お金があったところで生活水準がちょっと上がるだけだ。

更に今の世の中何が有意義なことなのだろう。世界レベルで言うと日本は平和で戦争もない。ナポレオンは侵略戦争で身分社会を破り、自由主義とナショナリズムをもたらした面においては有益だったと言える。しかしそんな環境は今は無い。

このままブログを書くだけでは先が知れている。もっと世界に対して有益なことがしたい。小学生の頃将来の夢は世界史の教科書に載ることだった。ブログを描いて夢が叶うか?しかし この世界に有益 という観点で考えてみても稚拙な思考から抜け出せない。

何をもってして世界に有益というのだろうか?もし私がネタ記事ではない有益な記事を書こうと一念発起したとする、それはたとえば「受験生のための世界史講座」というブログだとしよう。そのブログを見た高校生が、受験に合格するとする、これは有益なブログか?いいやそれは有益なブログではない。その高校生が合格することによって、その分受験に落ちる人がでてくる。それは私のせいだ。受かった人が有益、落ちた人が損したとして、結果的に世界に対する有益さは0である。それでは書く意味がない。

ブログを運営することによって収入を得るかもしれないが、真の奉仕の心というものは無償でなければならない。


彼女のように。https://youtu.be/1Jaw7W6sKfo

では彼女のように逆境男食堂を作ろうか?。それで私の心は満足するだろうか。ここでも新たな疑問が発生する。無償の奉仕をしたいという自己満足のためだけに食堂を経営するというのは、自分の精神衛生を良くしたいという理由で真の良い心ではない。自分探しのため、自分の精神衛生のためだけにボランティアに行く、献血に行くというのは不健全な理由である。(私に関しては。)

よくよく考えるとこのブログも自己満足のブログである。そんなブログであるのに見ていただいている方に申し訳ない。自分のブログの無意味さ、低俗さに辟易し、恥ずかしくなり全部消そうかとも思った。現時点でこの記事を書きながらこんな自分語りの文章を投稿したら見られると思うと恥ずかしい。病院で肛門を医者に見られる程恥ずかしい。そんなことを考えると何も投稿できなくなった。

それよりも朝から毎日会社に行き、歯車として働いても日本経済を回し人々の生活を支えるサラリーマンや学びたくもない授業を椅子に座って我慢して受ける学生のほうが私の1000倍素晴らしい。皆さん誇りをもってほしい。え?あなたニート?ニートでも犯罪に手を染めず他人のことを思える人間なら素晴らしい。

いやしかし、有益か無益かという一つの視点だけで考えても意味がない。物理の法則に、熱力学第二法則というものがある。それはエントロピーの増大という概念と関係し、それは秩序、無秩序の関係である。簡単に言うと、この世界に一つ秩序が生まれると、一つ無秩序が生まれるという法則である。なのでいくらこの世界を良く、秩序正しくしようとしても不可能ということだ。

分からない、人生の意味も分からない。
話は180°変わるが、NARUTOにうちはマダラというキャラクターがいる。彼は平和を望み、人々に覚めることの無い夢を見させ、その中でそれぞれ幸せにさせるということを目指していた。今、人類全体がそのような方向に向かっているのだと思う。国家、法人、個人、どの単位でみてもそれぞれの感心は自己の欲求を満たすこと。そればかりに関心が向いてるのではないかと思う。

生きることが明確でないから欲求に向いてしまう。日本において宗教はあまり根深くない。宗教を通しての人生観や、死生観、生きる意味などを直接学ぶ機会は少ない。だから日本人は無気力な若者や自殺率が高いのか?分からないが。

この記事で何が伝えたかったのか分からない。そして自分がブログで何をしたいのかも分からなくなってきた。

よく近所のご老人とお話しする機会があるのだが、「ええなぁ若ぇ頃さ戻りてえなぁ」と言われる。その老人はもし若い頃に戻ったらどうするのだろうか。その老人のしたいこととはなんなのだろうか。欲望の充足だろうか。だとすると高齢になっても欲望の火は消えず、高次の人間としての"完成"にたどり着かないということである。これは悲しい。いや、普通の老人にそんな崇高さを求めるのがおかしい。

だとすると私は寺かどこかに出家して悟りを目指すのが良いのだろうか。

よし、調べてみよう

検索結果:「債務者を狙った出家詐欺が横行!」

よし、辞めた。

もっとシンプルに考えてみよう。

私が幸せを感じる瞬間は美味しいものを食べるとき、親しい人と話しているときだ。昨日もラーメンを食べて幸せを感じた。しかし自分の幸せのためだけに生きるというのは良いのだろうか。他者を考えず自分ばかり考えるのはエゴではないか。

「そんなん関係ねぇ!楽しいから生きてる!」
と言える人になりたい。

ってこれブログ書く意味じゃなくて生きる意味の話じゃん!


おわり


追記:有益、非有益に関わらずブログを書くことを「趣味」と位置付けることによりこの問題は解決した。



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