※この記事は自分語りです。何も面白い要素はありません。

私は小学生の頃いじめられていた。今では笑い話だが。

しかしそのいじめが終わると同時に、また他の人がいじめられるようになったことを覚えている。

それはおとなしい女子だったと思う。この子をA子とする。

彼女はあからさまに避けられたり、教室にいない間に物を隠されたりしていた。

しかしA子は一切誰にも助けを求めなかった。

その時私はいじめというものをはじめて客観的に見ることができたと思う。いじめは異常な行為だと。加害者は共通の敵やターゲットを見つけることで結束しているのだと。私は心底人間嫌いになった。しかし同時に怒りも沸いてきた。それはいじめられているA子に対してである。

私は彼女に自己投影し、どうしてやり返さないのか、なぜ担任や親に助けを求めないのかとイライラした。面白いことに(面白くないぜ)、自分がいじめられるよりも、A子がいじめられることの方が耐えられなかったのである。不思議な現象だ。

そして私はある行動をとるようになる。誤った行動だ。

A子がいじめられる陰で、同様の嫌がらせ行為を加害者のクラスメイト(複数人)にしていた。

たとえば彼女が物を隠されると、私は隠した加害者を記憶し、放課後や移動教室の教室の誰もいない時間に彼らの持ち物を物色し同じように隠した。A子の靴やノートが捨てられると私は同様にその加害者の靴やノートを隠した。私はいじめをする人間は、同じような目にあっても当然だと思っていたのである。そしてこの"ハンムラビ式制裁活動"をなんの躊躇もせずしばらく続けていた。



一番記憶に残っている話がある。

林間学校の日、加害者がA子のリュックの中を漁り弁当を持ち去る現場を目撃した。怒りに震えた私はその日加害者グループ4人がDSを持ってきていると盗み聞きしていたので、彼らのカバンから4台のDSを窃盗した。家に持ち帰り全て2つに折ろうと思ったが、さすがにそれは出来なかった。これはやりすぎだと。なので挿入されていたポケモンのデータを全て消した。そしてこのDSとカセット4台をどうしようかと迷った結果、返すことにした。

早朝に学校に行きそれぞれの机の中にデータを消したDSとカセットを入れる。

そしてもう一度学校の外に出て、平静を装って教室の中に入った。怪しまれないためである。

その朝、予想外に教室はざわついていた。

私の考えでは

林間学校でDSが無くなったことは教師に言えない(持ち込み不可の為)
よってDSが見つかっても大きな噂になることはない

と思っていたが私の想像は全くもって外れていた

なんと加害者4人はDSが無くなったことを教師に報告していた。そしてその件は既に学校外の犯人の盗難として受理されていたのだ。

クラスの男子のほぼ全員が知っていたのだが、私だけはそれを知らなかった。

それによりクラス内の犯行と知った担任は教室で犯人探しを始めた。更に、今まで私が加害者側にしていた嫌がらせ(ハンムラビ制裁活動)もその同一犯と見なされ更に大きな問題になっていた。(A子のいじめは問題になってない)

そして驚たことに

クラスのほぼ全員が私の犯行だと気づいていたらしい。

笑。

当時私はどこのグループにも属していなかった点・過去に加害者グループからいじめられていた点、誰もが周知の事実だった。そんな中私に疑いの目が行くのは当然のことであった。幼い私は本気でバレてないと過信していた。

しかしまだ教師は私が犯人だと気づいていなかった。また加害者側の4人もA子をいじめていたため「犯人はこいつ(逆境)です」と言えなかったのだろう。当時私とA子しかクラスで孤立している人はおらず、私だと言うと報復に自分たちのA子に対するいじめをチクられると考えていたからだ。

そうした拮抗状態の中、クラス内で誰が4人のDSを盗んだか、クラスメイトに嫌がらせをしていたか、教師による一人一人の事情聴取が行われた

私は当時バレることはないが、「もうこの活動はできなくなるな」 とか「これでいじめが無くなればいい」と思っていたがまたもや予想外のことが起きた。

担任の1対1の事情聴取の際、A子が林間の時に弁当を盗まれたこと・物を隠されるなどの嫌がらせを受けていたことを担任に暴露した。

A子は誰に物を取られたりしたのか分かっていなかったのだ。

これにより「私の、加害者側にしていた攻撃」と、「加害者側のA子に対するいじめ」が同一犯による一つの事件とされたのである。

(どちらも手口が同じため学校に恨みを持つ者の犯行だと思われた)

A子の被害の全貌を知った担任はこれを深刻な事態だと考え更に動いた。

担任は「解決するまで話し合う」という姿勢を見せ、放課後毎日1時間話し合う「話し合う会」の時間が設けられた。対応が遅い。

そして私は予想外に窮地に追い込まれていく。


A子へのいじめはクラスのほとんどの生徒が加担していた
。そして彼らは私が犯人ではないことを知っているはずである。しかし、これが「A子+その加害者に対する嫌がらせ事件」という名目になった瞬間、すべての責任の矛先が私に向かった。何故ならA子のいじめはクラスのほぼ全員が犯人なため”特定の犯人”がおらず、一方加害者に対する嫌がらせの犯人は”私ただ一人”であるからだ。そのため私を全ての犯人とすることが全体にとって最も都合が良い。なので連帯して私を犯人にしようとする動きがあった。多数決がいつも正しいとは限らないと知った瞬間である。

「話し合う会」で「物が無くなったり隠された時に誰が怪しかったか?」といった話し合いになったとき、ほぼ全員が私のことを怪しいと指摘してきた。また「私が学校を休んだ日は何も無くならなかった」なんて言われた。

私自身こんな会に付き合う必要はないと思いながらも(無責任)、どうすればいいのか分からなかった。今さら「A子がいじめられていた為こんなことをしました」と言うには遅すぎると思ったからだ。

更に段々と担任も私が全ての犯人であると決めつけ始め、「話し合う会」に参加する人数も徐々に減ってきた。担任が「こいつは犯人じゃない」と思った人は自由参加にしたためである。A子とあの加害者4人はいつも残っていた。

気がつくと「話し合う会」のメンバーは私とA子、加害者側の4人合わせて6人だけになっていた。

そして話の内容も「犯人探し」から「犯人に伝えたいこと」や「どうしてそんなことをしたんだろうね」という風な内容になっていた。まるで私が全ての犯人だと断定するように。(「犯人に伝えたいこと」は私に聞かなかったのに、「どうしてそんなことをしたんだろうね」という質問は私にされた)

私は責任を感じながらも、耐えきれないと思い担任に「塾に行き始めたので行けません(嘘)」と伝え無理やり行かなくなった。そして露骨に私が行かなくなった日から「話し合う会」が開かれることが無くなった。

そしてまたもや予想外なことが起こる。

担任が私の家に電話をしたのだそして塾に行ってないことがバレた。そして親と担任両方に嘘をついたとを怒られた。「なんで嘘をついたのか」と100回くらい聞かれたが何も話さなかった。

そして最終的に開かれた「話し合う会」は私と担任との一対一の場になった。担任は高圧的な態度で私を全ての犯人と決めつけ、(裏でクラスメイトが私のせいにしたため担任を責めることはできない)「お弁当がなかった時のA子の気持ち」や「教科書や靴、筆記用具はタダじゃない」という話をされた。そして何時間も何故そんなことをしたのかと問い詰められた。

しかし私は「私がしました」とも「私はしてません」とも
言わなかった。ただ俯いて、「わかりません」としか答えなかった。

最後に担任が「お前みたいな人間がニュースに出ることになるからな」と言ったことを覚えている。

・・・私は褒め言葉と受け取って家に帰った。塩辛い味がした。

次の日から学校も教師も人間も、何もかもが嫌いになっていった.....。

考えると落下に次ぐ落下人生はここから始まったと言っても過言ではない.....





おわり












この話を聞いてどう思っただろうか。私の矛盾に気が付けただろうか。私はいじめの加害者側の人間と同じである。いじめが始まるメカニズムは「見下し」から始まる。自分が知っていることを知らない、自分ができることができない、そういった「自分より劣っている」から「こいつは馬鹿にしていい」「なにしてもいい」という風に変わっていく。私は小学生の頃、「いじめをする人間はいじめられて当然だ」という考えから脱却できず過ちを犯してしまった。
今でもこの時私がしたことは後悔しているし反省している。その考えでは何も解決しないし、過剰な暴力にも繋がる非常に危険な考えである。もっともその考えを肯定すると誰しもが攻撃し合う世の中になってしまう。「いじめの復讐でスカッと」なんて話をよく見るがスカッとなんてしない。復讐を成功させたとしても他の所で加害者はまた悪さをする。矛先が別のところに向かうだけである。いやしかし闘った方が良い場面もある。パワハラやセクハラなんかで被害を受けた場合は闘うべきだろう。いじめも現在進行形で受けている場合は闘うべきだろう。ん?待てよそれは私の場合は含まれるのか?私A子へのいじめをやめさせるためにこんなことをしたがそれは闘うべき場面だったのだろうか。いや、それにしてはアプローチが不適切すぎる。単純にいじめを報告するだけで良かったのだ。しかしそれで解決できただろうか?また別のほかの人がいじめられることになる結果になったかもしれない。私が同じことを加害者側にしてことで加害者は被害者の気持ちを知り、今後の抑止力になったのかもしれない。いや、エゴだよそれは。それは完全な正当化だ。人を攻撃するのにどんな理由もあってはならない。しかしそれでは何も守ることはできないのでは?いいや私のした行為は守るための行為ではない。ただのストレス発散だ。ただ我慢ならなかったという精神衛生の理由での行為だ。正義なんてものはない。そもそも正義の名のもとにどれだけの暴力行為が行われてきたか歴史を見て明らかだろ?いやまて、それは話が飛躍しすぎている。この話の争点は、私が攻撃する正当性があったかどうかだろ?それならば無いというのが答えだろう。殴られても殴り返してよい理由にならない。じゃあ防御して第三者に助けを求めればよかったのではないか?いやしかし誰しもが助けを求めることができるわけではないのでは?更にその時私が担任に助けを求めなかったのは信用していなかったという理由も含まれるだろう。殴られて殴り返さなければ更にエスカレートするだけではないか?いや、それにしては対応が遅すぎだ。何故自分がいじめられた時はなにもしなかったんだ?そこで対応をしておけばA子がいじめられるのを防げたはずである。いやしかし、自分と他者の痛みの違いを気づけたことが重要だったのでは?また傷ついて傷つける経験をしたからこそ知った経験も多いのでは?うん、それはわかっている。それを踏まえた上でいじめの報復は正当化できるかという話をしているのだろ?いやだかかそれは正当化できないって。それは何故?攻撃に攻撃で対処しても無意味。じゃあそれではエスカレートさせてしまうだけでは?(無限ループ)





頭がパンクした。


次回




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