今年も24時間テレビの季節がやってきた。

テレビに映った瞬間即チャンネルを変えたのでどんな内容かは知らないが恐らくまたお涙頂戴的な内容なのだろう(偏見)

私は昔から24時間テレビが何故か苦手で、その”何故か”を言語化することができなかった。

見てると冷めるというか無理やり作った感があるというか、斜に構えている訳でもないのにそんな違和感を感じてしまう。

ライフで買った42円の唐揚げを食べながらその違和感の正体を考えていた。


まず私の記憶の範囲では24時間テレビは障害を抱えた少年少女が過酷な登山や海に挑む・・・みたいな印象があるのだがそれがどうにも気になる。

障害=困難で、困難を持ちながら他の過酷な何かを達成することに果たして意味があるのだろうか。

単にしんどいだけじゃん…と思うし、山を登ったところで海を渡ったところでその障害は治らない。

自分だったら「健康だったらよかったのに…」とその困難の過程で100回くらい感じるだろう。


また「障害という困難を持ちながら困難に打ち勝つ彼を見て!」という番組側の思惑は、少年少女そのものよりも彼らがもつ障害そのものに興味・価値があるように思える。

たとえ彼らが何かを達成したとしても彼らは大人たちの好奇の目線、困難に打ち勝つプロセスではなく障害を持つからこそテレビに出演させているというまなざしを子供ながらに察するだろう。


つまり番組側に利用される子供達はますます健常者や他人との違いを思い知らされるのではないだろうか。

彼らが求めているのは注目では無く「普通の生活」だと思う。切実に。

障害そのものに商業的価値を見出し利用し、特別なものという演出をすることはかえって健常者との線引きをしてしまい、かえって差別を助長してしまうのではないだろうか、と感じる。


他の違和感としてはやはり募金の使い道だろう。

この前大阪に行ったが、豪雨災害の募金額の少なさに驚いた。

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そんな募金額とは桁違いの額が番組ラストでは発表されている。

しかしその使い道は発表されていない。

憶測だが雇った芸能人のギャラに充てられているんじゃないか?と思ったりするがどうなのだろうか。

普通に考えてノーギャラ出演はあり得ないだろうし恐らくそうなのだろう。

今年の24時間テレビはどんな展開なのだろうか。見ないけど。

個人的にはフルマラソンが間に合うか間に合わないか…しか見どころが無い。

まあそれも仕組まれてそうだけど。


…まあそんなこと言ってたからクラスではテレビの話題についていけずぼっちになっちゃったんだけどね。

自分がプロデューサーなら「ザ・社会の底辺実録24時間」を企画したい。

出演者は蛭子能収とかだけでいい。…と言おうとしたが蛭子能収でググったら認知症ってマジか。