未成年者の自殺率が過去最悪を更新したそうだ。

つい先日には大阪のビルから高校生が飛び降り自殺したニュースも記憶に新しい。

未成年者の自殺、何故増えているのだろうか。

社会は明らかに豊かになっている。今の時代簡単に餓死はしないし、社会保障もあるし、多様性も認められてきている。

それと関係のある話なのかはわからないが、私は最近インターネットを禁じる習慣を始めた。

スマホを持たずに外出するし、スマホを持たずにトイレに行くし、スマホを持たずにバイトにも行く。

これはちゃんと働いている社会人の方や友達がいる人なら1日中スマホを触らないというのは無理な話かもしれないが、私はどちらでもないので可能だ。

初めは全くネットを使わない生活に禁断症状が出たが、今は意外と落ち着いている。

まあ、今まさにネットをつかってこの記事を書いているが少しということで。

似たようなものでいうと私はオナ禁もしているのだがこちらは現在250日目。

ネット禁、オナキン合わせて毎日快適に過ごすことができている。

私はこの習慣からインターネットが人を不幸にしているんじゃないかと最近思うようになった。

何故インターネットが人を不幸にしていると思うのか。

それは情報を無限に収集してしまうからだと思う。

昔のインターネットの使い方と言えば専ら調べものをするときに使っていたと思う。

しかし今ではどうだろうか。YouTubeを開くと無限に関連動画やおすすめから動画を見てしまうし、なんとなくでgoogleで検索し次から次にページをみてしまう。

ニュースアプリ、SNS、ショッピング、なんとなくで初めて無限に終わらないコンテンツばかりだ。

このような無限の情報、ボタンを押せばランダムに物が出て来る装置のようなもので人は飽きないし、あっという間に時間を溶かしてしまう。

そしてこの無限に情報があると、人は自分というものをその情報と一体化してしまう。

どういうことかというと、例えば何かに成功している人の姿を見れば「自分にもこの道があったのかもしれない」と後悔をするし、他人の職業や人生の選択肢を見ると「あの時ああすれば良かった」と後悔をする。

情報の数だけ選択肢があるため後悔をしやすいし、情報の数だけ他人と比較してしまう。

人生で大切なことは自分の意思で考え、自分にとっての最善を選択していくことだと思う。

インターネットで1日の多くの時間を何も考えずに費やしてしまうということは、人生を捨てることと同じだと思う。

つまり何が言いたいのか。

人は誰しもそれぞれその時々で必死に生きてきたハズである。

インターネットの情報過多によって自分が選ばなかった選択肢や選べなかった選択肢を見て後悔してしまうこともあると思うが、それは無駄な後悔なのだと思う。

それよりも今、自分が何に時間を費やしどれだけ人生に当事者意識をもって行動できるかが大事なのだと思った。

栄光に向かって走る、あの列車に乗っていこう。