スマートフォンのゲームをしている親子のイラスト

子供を産み、育てることは人間としての集大成の行為なのだとこの頃思う。

私たちはこの世に生まれた時から様々な苦難を経験する。資本主義という競争の社会の中での闘争、受験や面接という社会の選別を乗り越え働き、数々の受難を越えて一人の人間として成長していく。

その過程で得た様々な知識や経験こそ武器であり、私たちはそれで社会の荒波を掻き分けてきた。


私は難関大学の受験や一流企業への就活よりも子育ての方が難しいと考えている。それはなぜか。

子育てとは、こういった親がそれまでその背中に携えてきた知識・経験という武器を伝承していく行為であり、アフリカのライオンが子ライオンに獲物の捕り方を教えることと同義であるだろう。子にうまく社会というジャングルの掟や勝利を勝ち取る方法を教えなければ子は競争に敗れ息絶える。

多くの人々は「自分の幸せ」のために子作りをし、子供を育てるが本来は「子供の幸せ」のために子作りをするのが望ましいことである。子供は勝手には幸せにならないし、この天国でも地獄でもない世界に新たな命を召喚するという行為は、何らかの勝算があってこそするべき行為である。十分な仕事や貯金があるとか、親が人間的に成長しているとか、なにより「子供を愛し続ける」という覚悟が必要なのだろう。

言い換えると未成年や、DQNの「できちゃった」なんてものは言語道断であり虐待死の報道なんかを見ると「やっぱりな感」が否めない。知識経験も乏しく単なる「性行為の延長」としかみなしていない親のもとに産まれる子供は生まれながらにして不幸である。

親から子に受け継がれる愛情や知識・経験こそが子に与えられる最上のものであり、そう考えると子育ては並大抵の者にはできない行為、最も難易度の高い行為なのだと考える。


とはいっても少子化だしボンボン子供産んだ方が良い、という意見も分かる。

しかしもしも自分に子供ができたら親として最上のものを与えたい。相手いないけど。

ちなみに私の従兄弟はDQNで18歳の時にできちゃった婚をしている。

DQNがモテるのって何故なんだろうか。女性は本能的に声がデカくてガタイが良くて自信がある男が好きなのだろうか。石器時代の名残だろうか。